鉄砲は15世紀前半にヨーロッパで発明されます。
日本に伝わったのが1543年9月23日と言われているので、発明されてから1世紀ほどで
日本に伝わった事になります。
さて、日本に鉄砲が伝わった1543年、既にピサロによるインカ帝国の征服が行われており
南米は植民地へと向かっている時代でした。
白人国家は15世紀の初頭から世界を植民地へと変えていき、そして世界中を植民地にする
一歩手前まで進んでいました。
日本での室町時代までは世界はそれぞれの独立した歴史を
歩んでいましたが、日本が戦国時代に入り、そして江戸時代で平和を享受していた時代に
世界は様変わりしていたのです。
アフリカも15世紀末から植民地とされていきます。
最初は沿岸の港湾を点として支配するのみでしたが、19世紀になり、白人国家の列強は
全面的な植民地支配を進め、エチオピア以外の全てを植民地にしていきました。
インドは18世紀後半から植民地化が進み、そして東南アジアは19世紀に植民地となっていきました。
明治元年は1868年です。
その明治となった19世紀の世界ではタイとエチオピア、
そしてオスマントルコのある西アジアと日本、朝鮮、中国を除く全ての国が植民地ととなっていたのです。
その西アジアも第一次世界大戦の敗戦でオスマントルコがフランスとイギリスに解体され植民地となりました。
エチオピアも1936年にイタリアによって植民地に落とされました。
タイは植民地とはなりませんでしたが、実は現在のタイの国土の半分は植民地とされており、
現在の国土は戦後に回復されたものです。
そして中国は半植民地となり列強各国が最後の植民地として食い荒らそうとしていたのが19世紀の実情でした。
ヨーロッパ列強諸国は15世紀から500年かけて世界の殆どの地域を植民地とし、そして植民地となっていない最後の地域である東アジアに
手を伸ばし、そして巨大だった清帝国でさえアヘン戦争で屈服させ、中国も半植民地にしていた時代が江戸時代の終わりから明治にかけての世
の中でした。
当時の日本の知識人から見た世界は西アジアにあるオスマントルコ帝国、そして遠いアフリカのエチオピア、そして今のタイの一部の地域と日
本の周りだけが独立を守っており、日本は植民地にされるまさに一歩手前でした。
現に、明治以降もオスマントルコ帝国とエチオピアは植民地に落とされ、そしてタイもフランスとイギリスの植民地に挟まれていたため、かろ
うじて独立を維持できていただけであり、
中国は列強諸国に好きに分割される目前で、日本だけが武力により自国を守る道を歩みました。
白人国家に順番に植民地とされ奴隷とされていった世界で武力で独立を維持した日本は特別の国家でした。
明治維新の成功は政治だけでは実現できません。日本には武器を輸入し軍備を整え、そして世界に対抗できる軍隊を持たなければなりませんで
したが、軍備を揃えるには膨大な予算が必要です。
そして、貿易黒字を積み上げなければ予算は捻出できません。他の国が開国後に真っ先に陥るのが貿易赤字による財政の悪化です。現に清帝国
はアヘンによる貿易で赤字を積み上げていく事になります。
日本が貿易で赤字を出さずに開国と同時に成長路線を進むことが出来たのは家内制軽工業が
江戸時代より花開いていた国だからでした。日本は伝統的に中国との貿易で大量の銀を輸出し、
その銀で大量の絹を仕入れておりました。絹は高級品でした。
当時の中国を訪れたマルコポーロは、大量の銀を中国に輸出する日本という国を中国で知り、
黄金の国、ジパングとして西洋社会に紹介しています。ジャパンという名前は、このジパングより来ています。
当時は金より銀の生産量が少なく、銀の方が高価だったのです。金と銀はあとで価値が逆転しますが、
中世まで銀の方が価値が高く高価でした。その為、未だに銀行と呼び、そして銀座という地名なのです。金ではなく銀だったのです。
銀の価値はインカ帝国を滅ぼしたインカより大量の銀が搾取され市場に溢れたために金より
価値を下げていったのです。
しかし、日本の銀も無限ではありませんでした。江戸時代に入り、銀の生産高が落ちた後に、
江戸時代に中国との貿易赤字に悩みました。
その為、絹の生産を国内で行い、そして国内の絹生産が盛んになっていったのです。
日本人のすごい所は絹の品種改良に精力的に取り組んだことでした。
同じ一匹のカイコであっても、より長い糸を、そしてより品質の高い糸を出せる品種にするように
品種改良を脈々と続けていきます。
このカイコが開国後の明治維新の貿易を支え、日本は開国当初から貿易黒字国として
出発することが出来ました。
そして天下のトヨタが登場してきます。当時の世界最大の工業国はイギリスです。
そして主力産業は絹糸から絹製品を作る事です。当時の日本は最初は絹糸を輸出していましたが、すぐに、
絹糸から絹を編み、そして服を生産して輸出した方が高く売れる事に気が付きました。
その絹糸から絹生地を編み込む画期的な工作機械を発明し紡織機を作った会社がトヨタ紡織機で、
今のトヨタ自動車は、この親会社トヨタ紡織機から生まれた会社です。
当時の世界で最も生産高の高いイギリスの主力産業である紡織機工業を日本が超えて、
そして品質も高く値段の安いMade In Japanは物凄く人気の高い製品になりました。
余談ですが、トヨタ紡織機の子会社として生まれたトヨタ自動車が、第二次世界大戦後のアメリカの主力産業である自動車産業を越えて世界一
になった事を考えると、戦前の世界一の国のイギリスの主力産業である紡織機、そして戦後の世界一の国であるアメリカの自動車産業と戦前、
戦後を通じで日本の経済をけん引した物凄い会社であることがわかります。
日本はただ政治と軍事だけでなく、殖産興業政策により経済でも大きな成長をして何とか国を守ってきたのです。
他の国は軍事を充実させたくてもなかなか経済が追いつきません。物まねと言われようが、
日本が軍事的に中立を保てたのは当時の工業生産が可能であった工業的側面が大きいのです。
他国は物まねをしようにも物まねさえできなかったのです。
貿易で何とか大きな黒字を重ねることが出来たから、そのお金を元に軍備を揃え、
そして他国に対抗できる力を蓄えることが出来たのです。
そして自転車の生産もイギリスを追い詰める事になっていきました。
経済力が伴わなければ軍事力も政治力も持てませんが、日本は経済力を元に荒波の世界の中で
独立を保っていたのです。
明治時代の最初の目標は不平等条約の改正です。不平等は関税の自主権と治外法権です。
関税が自国でコントロールできなければ、自国の産業は他国の安い製品で圧迫されます。
そして外国人が国内で犯した犯罪を自国で裁くことが出来ないのが治外法権です。
この不平等の撤廃が明治新政府の悲願でした。
日本は日清戦争に勝ち、アジアの盟主の立場を手に入れ、アジアの同盟者を模索していた
イギリスと日英同盟を組むことが出来ました。
この日英同盟は日本にはどうしても必要な同盟でした。3国干渉の様に、ヨーロッパの国々はいざとなると
固まって日本を攻めてきます。仮に1か国と戦争しても、他の国に参戦されたら一たまりもありません。
現に、他の国々はそのように攻められて滅んだ文明など限りないからです。日英同盟は、
同盟国が複数の国と戦争すると、同盟国は同盟国の為に参戦するという同盟です。
日本の仮想敵国はロシアでした。この国と戦争した場合、イギリスが睨みをきかせているのでフランスもドイツも
他の国はロシアの味方として参戦できないのです。
そして日露戦争を戦い、有色人種の国として500年間どの国も勝つことの出来なかった白人の国で、
しかも陸軍力世界一、海軍力世界2位と言われていたロシアを破る白人国家を始めて戦争で破った
有色人種の国となりました。
日本が戦争に勝つことで世界に大きな2つの流れが出来ました。
一つは世界中の植民地の独立指導者が勇気を得て有色人種でも白人に勝てる事を理解しました。
そして世界中の有色人種が日本の功績を讃えました。
当時の中国の孫文も、朝鮮の指導者で伊藤博文を暗殺した安重根も、この日露戦争による
日本の勝利に喜びのコメントを残しています。
世界中の植民地にいる有色人種が、この500年ぶりの快挙に祝福し、自国の独立を夢見たのです。
しかし日露戦争のロシアの敗北の意味を最も正確に理解したのはアメリカでした。
日本がこのまま成長する事は白人国家が500年かけて作ってきた世界中を白人の奴隷とする
世界の崩壊を意味します。
有色人種を奴隷として使役を続ける事が出来なくなるどころか、逆に恨みをもった有色人種が反乱し、
白人国家を破り、自分たちがしてきたように逆に有色人種の奴隷国家として白人が落とされるという
意識は白人社会の悪夢でしかありません。
いわゆる黄禍論です。日露戦争後に真っ先にアメリカがオレンジ計画を作成します。
オレンジ計画というのは日本をいかに戦争に追い詰め負けさせていくかという計画です。
この理不尽な考えを元に日露戦争以降の日本をアメリカは執拗に追い詰めていきます。
オレンジ計画は、日本の日の丸の真っ赤な色を色あせさせるという意味でオレンジという言葉を
コードネームにしました。
第一次世界大戦で戦勝国となり、国際連合の常任人理事国となった日本が人類の平等を唱えたのを
反対したのは当時のアメリカのウィルソン大統領です。
半世紀もかけてアメリカのオレンジ計画は進められ、日本は追い詰められ続け1945年に敗戦しました。
開戦に当たって、だれもが勝てない事を知っていました。誰もがです。誰ひとり勝てる戦いではなく
無謀で勝ち目のない戦いであることを知っていました。実力で言えば良くて半年、もって1年の戦争でした。
山本五十六海軍総督も半年や1年は暴れてみましょうとは言っても勝てないと明言していたのです。
ではなぜ最初から勝てるはずのない戦いに身を投じたのでしょうか。
以下は大東亜戦争の開戦の詔勅です。
<現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、
その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、
ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、
ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である
南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、
東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、
更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、
帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、
経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、
ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、
我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、
すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
さて、学校でしか歴史を学んでいない人にはこの内容に幾つかの違和感を感じたのではないでしょうか?
南京政府とは教科書には登場していないでしょう。国民党と共産党、蒋介石と毛沢東は聞いていても
南京政府の話など歴史教科書で見たことがありません。勝てない戦いであったことは百も承知です。
公平な目で見れば、半年や1年しか持たない戦いでした。
しかし、兵隊の数も、武器や火力や戦闘機や船の数が何倍もあるアメリカで国力も一ケタ違う
赤子と大人の喧嘩のような戦争を4年近くも戦ったのです。
東郷秀樹を首相にしたのは彼が反戦派であり、戦争を回避したいからこその組閣でした。
東条秀樹も山本五十六も反戦派だったのです。
日本は負けました。そして戦後70年近く経ち、彼らの孫やひ孫の時代になりましたが、
未だに戦争責任を問われ続けています。
その日本が行った犯罪とは、白人国家の植民地を開放し奴隷となっていた原住民を開放した罪なのです。
その罪を攻めた連合国が作った国連で、日本を敗戦させた15年後に植民地を禁止する発令をしました。
日本の罪とは本当は何なのでしょうか。戦前と戦後の世界地図を見てください。
世界は日本を除くほとんど全てが植民地だったのです。そして日本が4年にわたって戦い続け、そして負けました。
しかし、その後の世界は植民地が独立を手に入れて民族がそれぞれの自立した歴史を刻むことの
出来る世界へと変貌しました。
まさに戦前の日本が望んでいた世界です。
世界地図は変わったのです。日本が東アジア、そして東南アジアまで巻き込んだ広大な地域で
4年の戦争を終えて負けた後、
世界地図は変わったのです。
勝てば官軍で、自分たちに都合の良い歴史に書き換えることが出来ますが、真実は違うのです。
私たちは私たちの祖父や曾祖父の名誉を取戻し、少なくとも真実を知る義務があります。
最後紹介するのはルーズベルトに与ふる書です。
栗林中将以下、市丸利之助海軍少将含め残存した数百名の兵士が、最後に、米軍に突撃して
玉砕されたときに市丸少将は、以下の内容の文章を英訳させたものを懐中に入れて突撃し、
アメリカ軍が将校の遺体を検査することを見越して戦死されたのです。
これが我が国の英霊の本当の姿なのです。
私は少なくとも今の子供や若い人たちが真実を知らず国を誇ることが出来ないことが残念でなりません。
私たちの先祖はこれほどに正しく、これほどに潔く、そしてこれほどにカッコよかったのです。
日本は恥じるどころか誇りに溢れている素晴らしい歴史を持つ国です。
『ルーズベルトに与ふる書』
日本海軍市丸海軍少将がフランクリン・ルーズベルト殿に、この手紙を送ります。
この戦いが終わるに当たって、私はあなたに一言を告げることがあります。
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を結ぶようになって百余年が間、
日本の歩みというものは至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、日露戦争、
第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、不幸なことに貴国と交戦するにまで至りました。
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、或いは好戦的で残虐な国民であると、
或いは黄色人種の跋扈だとか、或いは軍閥の専断によると言われますが、
これはとんでもなく的外れであります。
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に対する宣伝資料としているようですが、
日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、
あなたがたが最もよく存じているところではないでしょうか。
畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大みことのりに明らかであるように、
養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される
国家統治計画に基づいて、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って『その生まれた土地において
その生を享受する』このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
このことはかつて、 「四方の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」 という
明治天皇の御製に言われていることと同じであります。
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したことをあななたも
良く知っていることでしょう。
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、つまるところ彼らは色々な職業につきながら、
この天業を助けるために生きているのです。
我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を広く推し進める助けをさせて頂いております。
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に対して圧されている状況にありますが、
精神的には充実しており、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理でありますが、あなたやチャーチル殿には
理解できないかもしれません。
あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせていただきます。
あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、
その野望の為に有色人種を奴隷としてきたではありませんか。
好計を弄して有色人種を騙すといういわゆる悪意のもとの「善政」によって彼らから考える力を奪い、
無力にしてきたのです。
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種とくに東洋民族としてあなた方の
束縛から解放を試みましたが、 あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、
ひたすら有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、
公然と日本人種の絶滅を口々にするようになったのです。
どうして神意に背くのでしょうか。
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれ各地の民族が善政を行い、
そしてあなた方がこれを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現するのも決して遠くはないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、数百年来あなた方の搾取から逃れようとする
哀れな人類の希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。
ただ単純に東洋のものを東洋に返すということに過ぎないのです。
あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するということに
日本天皇の神意があるということを理解できる雅量をあなた方に望んでいるのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で人々が闘争することが
いかに悲惨であるか、痛嘆せざるを得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、
彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を
敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する
反動であることを看過できません。
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、どうやってスターリンを首領とするソビエトと
協調するつもりでしょうか。
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類に
安寧幸福の日は来ることはないでしょう。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしております。あなた方も得意になっているのでしょう。
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないように。
市丸海軍少将
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